はじめに:この話は“AI活用術”ではない
これは、AIの使い方の話ではない。
これは、
**「自分の目的が、どこでズレるのかに気づいた話」**だ。
私はハウツーを書く。
そして私の基準は、はっきりしている。
ハウツーは、読者を変えなければ意味がない。
読みやすさでもない。
統一感でもない。
コンパクトさでもない。
読者が変わるかどうか。
そこだけが評価軸だ。
きれいな本は、読者を変えるとは限らない
AIと壁打ちをしていると、こんな提案が出てきた。
- 体験談の最大文字数を指定すべき
- 章ごとにタグを付けると精度が上がる
- あなたが欲しいのは統一感のある本
一見、どれも正しそうだ。
でも、私は全部止めた。
なぜか?
それは、全部「編集効率」や「構造美」側の発想だからだ。
体験談は“何文字まで”ではない
「体験談は1,000字以内にしましょう」
よくあるアドバイスだ。
でも、私は思った。
何文字でもいい。
全体から浮かなければ。
そもそも私は書籍の最大文字数を決めていない。
制御すべきなのは文字数ではない。
読者変容への貢献度だ。
長くても、
- 「自分だけじゃなかった」と思える
- 「甘えじゃなかった」と気づける
- 「じゃあ少しやってみるか」と動ける
なら、長いこと自体は問題ではない。
数字で縛ると、熱量が死ぬ。
タグを付けろと言われて、止めた理由
「章ごとにメモ冒頭にタグを付けると精度が上がる」
【核心】【比喩】【体験】【脱線】
……理屈は分かる。
でも私は即答した。
ムリ。
一次Dumpは、思考の溶岩だ。
そこにラベルを貼れと言われた瞬間、
発火が止まる。
私は書きながら考えるタイプだ。
整理は後でいい。
発散中に収束を求める設計は、
私にとってはブレーキだ。
AIの精度を上げるために、
作者の爆発力を落とす設計は、長期的には損だ。
「統一感のある本が欲しい」? 違う。
一番強く反応したのはここだった。
あなたが欲しいのは統一感のある本
違う。
統一感は手段だ。
目的ではない。
ハウツーは、
- 読者の誤診を外し
- 自己否定を緩め
- 行動のハードルを下げ
最終的に、読者を1ミリでも前に動かすものだ。
統一感があっても、
読者が変わらないなら意味がない。
むしろ統一感のために、
刺さる失敗談を削るなら本末転倒だ。
編集基準をひっくり返す
このやり取りで、私は気づいた。
問題は個別の提案ではない。
編集基準の優先順位だった。
一般的な編集基準はこうだ。
- 構造が整っているか
- 重複がないか
- 冗長でないか
- 統一感があるか
でも、私の基準はこうだ。
- 読者の認知が変わるか
- 感情が少し軽くなるか
- 行動のハードルが下がるか
- 読後に思い出されるか
ここに寄与しないなら、
どれだけ整っていても意味がない。
AIは間違っていない。でも、中央値に寄る。
ここで重要なのは、
AIが悪いわけではないということだ。
AIは、平均的に妥当な提案をする。
それは多くの人にとって正解だ。
でも私は、
「多くの人の中央値」ではなく、
「読者の変容」に最適化したい。
だから、ぶつかる。
そして、ぶつかった箇所を
「拒絶された一般論」として記録する。
- 文字数制限で縛る発想
- 入力側に整理を要求する発想
- 統一感を目的化する発想
これは、私の設計思想とは衝突する。
本当に大事なのは「読者が変わるか」
体験談が章から少し浮いても、
読者の心に刺さるなら残す価値はある。
でも、その一節が強すぎて
本全体の主旋律を壊すなら、
別書籍に回すのも正解だ。
削除ではない。
再配置だ。
重要なのは常に、
この本を読み終えたあと、
読者は何が変わっているか?
この問いに戻れるかどうか。
まとめ:統一感よりも、変容
きれいな本は書ける。
整った本も書ける。
でもそれだけでは足りない。
ハウツーを書くなら、
- 読者が自分を少し許せるか
- 「やってみるか」と思えるか
- 今日1ミリ動けるか
そこまで設計しないと意味がない。
統一感は、そのための道具にすぎない。
そしてAIを使うなら、
自分の最上位目的を、何度でも言語化してぶつけること。
AIは迎合もするし、平均にも寄る。
でも、目的を固定し続ければ、
やがて出力もそこに寄っていく。
結局のところ、
編集の問題ではない。
目的の問題だ。
そして私は、
統一感ではなく、
読者の変容を選ぶ。

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